無名の質を散見

卒業論文は「住宅地の小規模工場における使用者による空間・立面操作の実践の類型学的分析」みたいなことになりそうだ。論文の体でいえばそういうタイトルになろうが、とどのつまりは「町工場萌え~」ということ。上の裁断屋なんかがかなり格好良いと思えたら論文の始まりだ。郊外型店舗の駐車をテーマに論文を書いた先輩Hも「最後はリンガーハットを見てニヤニヤしながら写真を撮ってた」という。
論文は論文の形をしたフェティシズムの表明なんだと分かってしまえば、道は明るく見えてくる。
いっぽう、溶鉱炉や給水塔の写真集がちょっと流行っているそうだ。
写真家のベッヒャー夫妻は産業礼賛時代の建造物を考古学的視座からドライに収集することで、給水塔なら給水塔という確固としたタイプ(類型)のなかにみられるトークン(類型内にみられる各標本の差異)が鮮やかに浮かび上がる、と多木浩二は序文で説明している。
ただ、流行っているのは前時代の遺産をアナクロニックにもてはやす限りにおいてのなのでは、と訝ってしまう。
いずれにせよ産業萌えが世の中で認められているのを確認できた。それはいいとして、論文としてはもう一歩先に行かなくてはいけない。
町工場から、無名の質というタームを経由して、修悦体という現象について。
新宿駅はここ数年ずっと工事している。新宿駅ユーザーとしてはそうとう鬱陶しい。
南口の工事仮囲いが黒田潔氏などのインスタレーションで彩られ、工事中の空白地帯は鮮やかに処理されたりしたが、それと時を同じくして、構内の仮囲いにはガムテープで臨時の案内表示がされる。
このガムテープで作られた案内表示のフォントは、思いのほか力強い異彩を放っていた。
ガムテープによって制限された形態と色彩がいじらしく、仮設のキャンパスはガムテープフォントの仮設性を引き立てている。
これの魅力に気づいていた人は少なくなかったらしく、あるグループがネットで取り上げているのを後に発見した。(君は修悦体を知っているか)
確かにネットで騒がれるような性質のものだなと思っていたのもつかの間、今日みたテレビにフォントの作者佐藤修悦さんが出演していた。
ブラウン管の向こうで実演されるガムテープフォントはもはや無名性を失い、数十万人の意識せぬ目撃者を帯びる新宿駅というフィールドから引き剥がされ、稚拙で滑稽に映ってしまっていた。
無名の質の発見の過程を奪うことはかくも残酷か。観光地化される町も同様の状況かと思う。




