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東京工業大学建築学科 小笹泉 http://wwater.hp.infoseek.co.jp/

20070805

無名の質を散見


卒業論文は「住宅地の小規模工場における使用者による空間・立面操作の実践の類型学的分析」みたいなことになりそうだ。論文の体でいえばそういうタイトルになろうが、とどのつまりは「町工場萌え~」ということ。上の裁断屋なんかがかなり格好良いと思えたら論文の始まりだ。郊外型店舗の駐車をテーマに論文を書いた先輩Hも「最後はリンガーハットを見てニヤニヤしながら写真を撮ってた」という。
論文は論文の形をしたフェティシズムの表明なんだと分かってしまえば、道は明るく見えてくる。

いっぽう、溶鉱炉や給水塔の写真集がちょっと流行っているそうだ。
写真家のベッヒャー夫妻は産業礼賛時代の建造物を考古学的視座からドライに収集することで、給水塔なら給水塔という確固としたタイプ(類型)のなかにみられるトークン(類型内にみられる各標本の差異)が鮮やかに浮かび上がる、と多木浩二は序文で説明している。
ただ、流行っているのは前時代の遺産をアナクロニックにもてはやす限りにおいてのなのでは、と訝ってしまう。

いずれにせよ産業萌えが世の中で認められているのを確認できた。それはいいとして、論文としてはもう一歩先に行かなくてはいけない。

町工場から、無名の質というタームを経由して、修悦体という現象について。

新宿駅はここ数年ずっと工事している。新宿駅ユーザーとしてはそうとう鬱陶しい。
南口の工事仮囲いが黒田潔氏などのインスタレーションで彩られ、工事中の空白地帯は鮮やかに処理されたりしたが、それと時を同じくして、構内の仮囲いにはガムテープで臨時の案内表示がされる。
このガムテープで作られた案内表示のフォントは、思いのほか力強い異彩を放っていた。
ガムテープによって制限された形態と色彩がいじらしく、仮設のキャンパスはガムテープフォントの仮設性を引き立てている。
これの魅力に気づいていた人は少なくなかったらしく、あるグループがネットで取り上げているのを後に発見した。(君は修悦体を知っているか

確かにネットで騒がれるような性質のものだなと思っていたのもつかの間、今日みたテレビにフォントの作者佐藤修悦さんが出演していた。
ブラウン管の向こうで実演されるガムテープフォントはもはや無名性を失い、数十万人の意識せぬ目撃者を帯びる新宿駅というフィールドから引き剥がされ、稚拙で滑稽に映ってしまっていた。
無名の質の発見の過程を奪うことはかくも残酷か。観光地化される町も同様の状況かと思う。

20070523

定位

研究室にようやく着陸できた。
特別優れているわけでも、特別劣っているわけでもないと自然に思えるようになるまでが苦難。
これまで設計製図のために積極的に自分を洗脳してきた。あるときは自分を責め立て、あるときは天才だと信じ込んで、少しづつ歩いてきた。それはひとり歩くための戦略だった。
研究室に入って、自分を評価する暇はほとんどない。ただ目の前の仕事に取り組む。
研究室に漂白されながら、研究室の色に染まっていく。
教育下に置かれていることを忘れはしないけど、この流れに身を任せることもまたひとつの戦略と信じて淡々と作業を続ける。

20070420

自分はどこに

16日から塚本研究室に所属。
先輩方の知識と思考の量に唖然。そして膨大な作業量をこなす諸先輩方に唖然。
いままでの自分の卑小さに気づき、また唖然。

読書ゼミなるものでルフェーブルという社会学系哲学者の本を読んでいる。
それはもう、すべて英文だった。
日本語でも理解できるか危うい内容を英語で読むと、
やっぱりかなり分からないのだけど、
必死に食い下がる。

そうやって食い下がっている状態は、教育されている過程なんだろう。
これから自分が確実に変化していくのだろうけど、それに耐えられるだけの素地があるか。
不安は絶えない。

そんな心境で聞いた今日のアトリエワン講演会。
先生の活動が自分の感覚にすごくフィットしていることが再確認されて、勇気づけられる思いがした。

20070408

建築の不要、教養の必要

台湾で研究をしている弓道部の大先輩へのメール。
まえに紹介した高校の野立道場はこの先輩の卒業後に作られた。

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小笹です。お久しぶりです。
葎の桜は最高でした。弓道も桜も好きな僕にとって葎は極楽浄土のようです。本当です。
合宿先の道場と同じくらい、葎は立派な道場だと思っています。
弓道がスポーツ化している今、規格的で整然とした道場が多くなっています。
身体の感覚を全方位から刺激される葎には、弓道がもういちど武道にかえるチャンスがあると思うのです。
弓道場なんて建築物はもともとなくて、つい最近までござと盛土だけの設備で弓道をしていたといいますし、
あの野立の射場はほんとうの弓道が実践される場なんだと、いまさら痛感しています。

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この道場は師範によって「葎道場」と名付けられている。
葎(むぐら)は八重葎の葎で、幾重にも生い茂り鬱蒼と繁忙している雑草のこと。源氏物語からの引用だという。
教養とはかくも滲み出るものかと感心しながら、翻って自分の無学に恥じ入る。

20070405

よくできた家具か工業製品

いまさらながら表参道のhhstylehhstyle/casaの中を見てきた。
空間の感想は先達に任せるとして、ボクが感心したことは、現実の問題をうまくかわしているなぁ、ということ。
薄く軽い建築を目指す妹島のhhstyleは、250mmあまりのスラブの薄さを極端に小さい柱間(約4m×3.5m)によって実現。
hhstyle/casaは、法規上必要な採光の数字を最上部の高窓で解決。この窓は内壁仕上げと同じデッキプレートで閉じられて、閉じた鉄板のワンルームが実現されていた。
どちらもちょっと高級なお店ということで、細かな現実の問題や細部の収まりや内外装の表面は異様なほど精緻に処理されている。

かつて西沢大良は「日本建築の造作が指物なんかの精度に近いから、身体的快楽を催す」といった旨のことを言っていたが、そういう目で見たら先の2建築も良くできた家具や工業製品に近いくらい精度が高い。
ただしできた建築はイデアルであって、脳と対話するような代物である。脳のなかの理念が実体化してできた現実離れした精度の建築は、やっぱり脳で理解する性質のものになっている。

身体が反応するような建築は脳単体の作用ではできるものではなくて、身体を動かしてはじめてできるものではないか。
そう思うと大工と建築家が一体であったかつての建築の、身体に訴えかける空間あるいは物体の力強さを理解しやすい。

20070404

素直



前の課題「ハイパースクール」のときのこと。
小学校の向かいの教会が計画に関わるので、教会に図面を見せてもらいに行った。
教会の管理人の方は快く応じてくれて、20年前の青焼きをコピーさせてもらえることに。
詳細な資料のおかげで設計はもろに影響を受け、強権的だといわれながらも強い空間ができあがった。

そのお礼に図面一式をA3に刷ってプレゼントしようと雨のなかを教会まで歩く。
先の管理人さんは一学生の意図をよく理解してくれた。
「今度のスタッフミーティングでみんなに見せますよ。『こんなことを考える学生がいるんだ。みんなで夢を見よう』って言ってね。」

こういう素直な喜びのために建築の知恵を使うべきなんじゃないか。

A+



東大の製図室はすごく格好良いと思うし、そこで育つ建築学生は幸せだと思う。
量感たっぷりのマッスにネオゴシックの装飾が刻まれた立面。これで東大というか帝大の建物は威厳を表現している。
巨大なマッスは居室として機能するために大きく光庭をくり抜かれている。
この中庭に屋根を架けて部屋にしたのが製図室になっている。だから外壁が内壁になっちゃってる。

A+という東大建築学科(を中心とした)団体の会合兼飲み会にお邪魔してきた。
自主性のかたまりみたいな団体をみて、東工大生のボクは羨むほかなかったんだ。

20070330

写真の嘘

高校でデジカメを買ってからというものの、5年にわたって写真を撮り続けてきたことに気づいた。
「趣味は写真です!」なんてとてもじゃないけど言えないが、一応は撮っているのだからすごいことだ。
それにくわえて、兄の趣味の関係でPhotoshopも同じぐらいの期間触っている。
…われながらとてもキモい。
さらに大学に入っていよいよ安物ながらデジタル一眼を使うようになると、薄々気づき出すことがある。

写真は「真を写す機械」ではないんだ。

ちょっと広角にして撮れば、狭い部屋は広々とした空間になる。
望遠にしたら、距離が圧縮されてにぎやかに見える。
絞りを絞ったら全てのものにピントがあって、説明的な画になるし、
絞りを開ければ、見せたいもの以外みんな見えなくなる。
電線だってゴミだってスタンプツールで消えてしまうし、
あおり補正をかければ3点透視の世の中が2点や1点の透視図に整理される。

ついでにいえば、アイドルの肌はきれいになって顔や体のプロポーションは自由自在に変わるし、新緑の山は紅葉になる。

写真は手で書くパースや一般の絵画と同じく、意図と技術によって出てくる画は思いのままに変わる。
写真は嘘の詰まった画であって、真実を記録した画ではない。



高校の弓道場に桜が咲いた。
弓道場の的を消失点として画に納め、偏光フィルターをかけて空の青を映し出す。
左は補正前で、右は補正後。
弓道場の一方向性を強調すべくトリミングとあおり補正。
水平垂直をあわせ、広角レンズで出る樽型ゆがみを補正。
桜と校舎の白を際だたせるために画像のホワイト成分だけ明るくする。
レッド成分を強くして桜を鮮やかに、イエロー系とグリーン系を少し強めて新緑の季節を演出。
…なんてことを細々すると、見慣れた建築写真ぽくなるのだ。
水平垂直あおり補正と樽型ゆがみ補正をすると、学校で習うようなパースのガイドラインが浮かび上がって、色の調整をすると絵の具で描いたような意図的な色使いになる。

なんて嘘臭いメディアにのって、建築は伝播していくのだろう。
建築の真実は体で体験する以外に知る術がないんだ。